大好きなお母さんの話。
こんにちわ!
ついに!ついに!100記事めの投稿になりましたー!パチパチパチ
記念すべき100記事は,お母さんについてのお話にしたいと思います。
まず最初に言っときますが,マザコンではありません(自称)笑。
【母のプロフィール】
幼い頃から,音楽家と料理人であった父の後ろ姿を見て育ち,吉林省の一流音楽大学を卒業。
中国民族楽器の「琵琶」という楽器で父と演奏会を行うと共に,佐賀県多久市で「大清花」という中華料理のお店を営んでいます。
そんな母親ですが,今はコロナでお店の経営は大変ですが,ぼちぼち何とかやっています。
私が中国に住んでいた幼い頃は,父と母は音楽家として活動しており,帰りが遅いのは当たり前で遠征などで泊まりの仕事も頻繁にあった記憶が残っています。
なので,ほとんどじいちゃんばあちゃんに預けられていました。
今でも記憶にあるのが,ばあちゃんと遠征から帰ってくる両親を出迎えした時の話で,
ばあちゃんが「誰か帰ってきた?」と幼い僕に質問すると...
僕は「おじさんおばさん」と答えた記憶があります。
多分それぐらい,遠征期間が長く父母のことを忘れていったのであろうと思います。笑
小学生になった僕は,母と二人暮らしをしていました。
ていうのも,父がもう日本に旅たったからです。
当時は,日本で活躍していた父のおかげで,まだ中国にはなかった日本のテレビゲーム機やお菓子を送ってくれたりして,
いつも父からのプレゼントを楽しみに待っていました。
当時,僕だけ珍しい過ぎるものを持っているので,いつもお家はお友達で群がっていました。
9歳の時に,母と一緒に父がいる日本へ旅立ちました。
日本に来て,幼い僕が感じたことは「道路にゴミが落ちてない」「空気が綺麗で美味しい」と純粋に感じました。
それから,どんどん友達も増えていき日本に魅力にハマりましたが,日本食に関してちょっと抵抗がありました。
ていうのも基本生のものを食べない中国の食文化でしたので,日本での「刺身」「生野菜」などは抵抗がありました。
そして,牛乳や豆乳も冷たく生では飲まないため口にすることがありませんでした。
そこで,母の得意分野である料理があったので,日本での家庭食に困ることがありませんでした。
日本のスーパーで売られているものでも,母は絶品中華料理を振る舞い,たくさん食べていました。
学校帰りで,友達が僕の家に遊び来た時はいつも餃子を振る舞っていました。
今では日本に住んでいる期間が長い為なのか,日本食が好きです。
逆に中国に帰ると,食べれるものが限られてきます。笑
ただ,実家の母の手料理は相変わらず「うーまー!」の一言です。
母の手料理ランキングーは付けれないので...好きなもの書きます。
・餃子(水・焼・蒸)
・小籠包
・麻婆茄子
・油餅
・麺類
などですが,まだたくさんあります。
なんだかお腹減ったなー...。
まあ,そんな母親ですが...
自慢の母親です。
お元気で,また美味しいものたくさん作ってください!